JOURNEY ~愛と欲望のふぁんとん部屋~
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静岡在住サザンの好きな新米夫婦の日々徒然
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2度目の宮城2
往復の足は18きっぷだから問題ないものの、宿が取れません。
長期滞在のため、あまりお金はかけられないので
カプセルかユースホステルを検討しました。

でもどうしても21日の宿が取れない…
まぁ直前になって決めたものだから仕方がないですね。

本当に血眼になって探し続けて質問掲示板で山形入りすれば?
という提案を見つけました。

そうしたら山形駅から徒歩数分の所に2980円のホテルが2か所も!
駅に近い方を押さえました。

山形から仙台は仙山線を使い1時間位の距離で、なんとかなりそうでした。
高速バスもあるのですが、酔いやすいので電車で(笑)

何か疲れてしまい準備もギリギリまで出来ず、取り急ぎ荷物をまとめて出発。

10:06に安倍川駅を出れば、山形着は21:12。
駅の窓口で18きっぷを買い電車で一路東へ向かいます。

ちょうどコパアメリカでは決勝を掛けた試合が行われていましたが…
残念ですがそれよりも大事なものが私にはありました。

TLでずっと観戦していたため、恐ろしい勢いで電池が無くなって行きましたが、
茅ケ崎に着く頃PK戦の末、決勝に進出しました。
でもロケ様は怪我…(涙)

湘南新宿ラインなので一気に宇都宮まで北上となりました。
ただ気ままに下車できないのは辛いかな?

途中、黒磯、福島、米沢で乗り換えとなりました。
流石に米沢より先はお尻が痛かった…

21:12ようやく山形に到着しました。

ホーム階段を上ると、ふと左側に…
ええええええ?桑田さんだ\(^O^)/

静岡ではすっかり見かけなくなったdocomoの桑田さんのポスターが貼られていました。

『お疲れさま~』という桑田さんの声が聞こえてきそうです。

駅から数分の今日の宿にチェックイン。
確かに古いけど、値段を考えたら大満足。

しかし駅前には何もなく、コンビニもファミマしか見つけられませんでした。

駅の反対側に行っても…何もない。
少々驚きました。

初山形は宿泊だけで寂しいですが、明日のために少しだけ早めに眠りました。


byつま
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by phanton | 2011-07-30 10:09 | 東日本大震災
2度目の宮城1
ボランティアを終えて色々忙しくしておりながらも
沖縄病に似た感覚に襲われ、間髪いれずにダンナさまに問いかけました。

『また行きたい。できれば1ヶ月くらい…
家庭がなかったら、もう帰って来ない所だったんだけど…』

『行ってくればいいよ。俺は行けないからさ』

そうなんだ…
そうか…

本当にごめん、じゃあ行くよ!!

行ってくるよ!

7月20日から18きっぷの使用が可能になります。
それを待って出発する事に決定。

でも29日に診察があり30日はさんごのコンクール。
これには帰って来ないとだめだろうな…。

23日に名古屋でのレッスン、25日に静岡でのレッスンもキャンセルし、
どうせだったら23日と27日のベガルタ戦に行ってしまおうと、
着々と計画を進めました。


byつま
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by phanton | 2011-07-30 09:50 | 東日本大震災
いざ仙台へ6
『宮城セキスイハイムスーパーアリーナ』がある利府の駅までは東北本線で行きますが、
次の列車は30分後…。仕方がないので、激しい雷雨の仙台駅のベンチで待ちました。

そして電車で25分位行くと駅に着きました。そこからはもうタクシーで行くしかないと…。

タクシーの運転手さんと色々お話しました。

グランディは震災後遺体安置所としてずっと使われていた事、
そして今でもまだ何名かのご遺体が安置されているとの事、
地元では取り壊されるのではといううわさが出ている事など色々教えて頂きました。

でも、桑田さんがライブを行うという事、今日発表されたんですよ、とお伝えすると、

『グランディも動き出すんだなぁ…』

と感慨深そうに仰っていました。

タクシーで10~15分位行った所に会場はあり、
確かにいまだに『遺体安置所』の看板が出ていました。

人気のほとんどない静かで厳かな佇まい…。

写真を撮る前に、まず手を合わせて黙祷。
そして写真を3枚撮りました。

本当にここに来る事が出来て良かった…という思いが溢れ出ます。

帰りのタクシーの中では、政治がらみのお話なども出て
地元の方のお話は本当にありがたいなと感じました。

またしても電車の接続が悪く少し待ちました。

仙台駅に着いて急いでお土産を買い、東北新幹線の指定を取らなくてはと列に並びましたが、
後少しの所で指定は完売。仕方がないので、自由席がある新幹線に変えました。

なんとか座れた所、Twitterには、沢山Mention であふれかえりました。
でも、たった数時間お手伝いさせて頂いただけなのに、
本当にそんなに称えられる事でもないのに…

申し訳ない思いを抱えつつ、返信を続けましたが、
次から次へとリプライが入り、東海道新幹線で静岡に着くまでの3時間強、
ずっとTwitterに向かっていました。

本当に、本当に…
一日だけでは足りるものではないのに…


家に帰り、まず自分が作業した若林区の状況を知りたくなり、
ネットで検索した所、『若林区で200~300の遺体が 3月11日』

そう言えば…Twitterで情報を拾っている時にこのニュースを見つけて
あまりの悲惨さにリツイートが出来なかった…

あれは若林区だったのか…。

そして、すぐ脇にあったのは名取川。
名取川の向こうは桑田さんも訪れた名取市でした。

名取市も甚大な被害に見舞われています。

画像も見て、被害が大きかったんだと改めて思いました。

『明日へのマーチ』を聴いたとき、
桑田さんが歌に込めた思いや折り込まれた景色が重なって
号泣してしまいました。

こんなに悲しい事ってあるんだろうか…


byつま
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by phanton | 2011-07-30 06:56 | 東日本大震災
いざ仙台へ5
食べ終わり、時間ができると、ようやく家の周りの景色に目が行くようになり、
ふと家の向こう側を見ると、がれきの山がまだ点々と残っている事がわかりました。

そして休憩場所の上を見上げると…

!!!

…ぐにゃりと折れ曲がったベランダがかろうじてついている状態のものがそこに…
あまりに変形していたのでベランダとは気付きませんでした。

家の周りもまだ水が引いてない所もありました。

確かにここは被害が大きい地域なんだなと、ようやくおぼろげに把握できてきました。

そして持ち場に戻った時に、ようやく、作業している場所が、玄関と続く部屋である事がわかりました。

床板が外れているので、慣れていない私は、そこが居住空間である事すら理解ができなかったのです。

作業もようやくわかるようになって来ました。

床下の元となる土の上に、津波で流れてきた大量の不純物を含んだ黒い層の泥が、
厚み5センチ~7センチ程度積っています。
さらにその上に藁や木くず、普通の泥と言った層ができているので、
黒い層から上をパカッと塊を取り除くのです。

作業終了時刻は2時から2時半の間。
コツがわかっていた頃にはおしまいでしたが、暑さのためリミットはそれぐらいが妥当だと感じました。

お宅で出して頂いた冷たい麦茶と飲み物を有難く頂きました。

お話を伺うと津波は1階部分をすべて覆い、からくも2階に逃げて命は助かったそうです。
息子さんがお二人いらっしゃる老夫婦様でしたが、息子達は建設関係の仕事をしているので、
震災関連の仕事で家の事はできない、との事でした。

本当に満足行く仕上がりだったのか…何か自分の中でもやもやしたものを残してしまいました。
そして願うのは、どうかお元気でいて欲しいという事…。

道具を片付け、スイスの先生の提案により、集合写真を撮りました。
(本来は被災地でのボランティアの写真撮影は厳禁なのですが)
中学2年生の英語を担当すると言う先生は、スイスに帰って生徒にお話をしたいから、と…。

S建設の方々はさすがに建設会社だけあって、敷石の事なども教えて頂きましたが…
皆様、内勤とのことで、『力仕事は慣れてない』との事でした。
でも、皆様とても面白い方々でした。

マイクロバスがお迎えに来て、センターに向かいました。

途中、今朝先に降りたグループを乗せました。
色々お話を伺いたかったので思い切って話をしてみました。

彼は有給を使って京都からボランティアに参加。
友人が石巻にいて石巻の現状も見て来たとの事でした。
そして後2泊滞在とのこと…。各地からみなさんいらっしゃるのですね。

センターに到着すると、壁に並んで一斉に長靴の高圧洗浄(光景が面白い)。
そしてうがい液でうがいと手洗いの励行、最後に長靴の底の消毒と徹底しています。

リーダーが報告を終えて解散となりました。

仙台まではスイスからいらした先生とお話しながら行きました。


byつま
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by phanton | 2011-07-30 04:06 | 東日本大震災
いざ仙台へ4
起床は朝5時半。
Twitterを確認すると、ものすごいニュースが飛び込んできました!!!

『桑田佳祐 9月10日、11日宮城ライブ開催決定』

夜遊びライブで桑田さんの復調をこの目で確認した私は、

『近いうちにライブがあると思う。それが宮城だったらいいよね』

と昨日お会いしたサザ友さんとそう語っていたばかりで、
しかも、それが私が仙台にいる朝にわかるなんて…

感激で胸がいっぱいになりました。
きっとこれも桑田さんからのプレゼントなのだろうと…
即座にボランティアの後、会場を見に行こうと決めました。

宮城ライブ、私は多くの東北の方に見て頂きたいので、参戦する気はまるでなく、
ライブ会場をこの目で見る事ができる!というだけで幸せをかみしめていました。

朝食もあまり入らない感じでしたが、体力つけなきゃと洋朝食をなんとか詰め込み、ホテル出発。

仙台駅から仙石線に乗り15分ほどの『小鶴新田』にある宮城野体育館・仙台市津波災害ボランティアセンターへ向かいました。

今回は水や昼食すべてを静岡から持ち込んだので荷物が重い事…。

そして電車にはそちらに向かうと思しき男性のグループもいて、
その方々について行く事にしました。

綺麗な体育館の中に、なるほどこれが…と思うボランティアセンターがありました。
申し込み用紙に記入し、待機列に並びました。

その後、作業のマッチング。
写真洗浄もありましたが、やはり現場に行き体験したい思いが大きいため見送りました。

『案件、仙台市若林区○○。屋内、床下の泥出し作業、男性5名、女性5名の依頼です』

女性5名…これなら大丈夫かも、と挙手をした所、無事メンバーに入る事ができました。
男性はS建設仙台支店の5名、女性は地元のベテランの方、スイス、沖縄、埼玉からいらした面々、そして私。

一応一通り用意した道具もこちらのセンターではほぼ用意されており、
長袖、長ズボン、昼食、携帯電話さえ用意していれば活動に参加できる事がわかりました。
便利なんだなぁ…。

現場へはマイクロバスで向かう事になりました。
バスの窓からは、やはり壊れた家屋は確認できましたが、半壊や全壊というものはありませんでした。

私達グループの他にもう一組乗車し、そのグループは東部道路の陸側のお宅で降りて行きました。

私達は東部道路を海側に超え、しばらく走りました。

広く青く草が茂る光景を横目に、川に近いあたりのお宅の前でバスは止まりました。

緊張のせいか、あまり状況把握が上手くできず、
ただ休憩場所になっているリビングの床板がかなり反り返っている事しかわかりませんでした。

そしておトイレは家のものは使えず、近くの材木店でお借りできるとの事でした。

地元のボランティア経験が豊富な女性の方を中心に作業が始まりました。

ある場所に通され、スコップを渡され、そこを掘って下さいとの事…

ん?最初はどの程度すくって良いのかわからなかったのですが、とりあえず、スコップを土に入れました。

その瞬間…

あまりの重みに顔がゆがみ…思ったのは…

”これは私には無理だ…”

という事でした。

無理だというのが浮かんだのですが、この無理だという感情の意味するものは、
作業自体が無理だ、という事と、
きっと私が同じような状態の被災状態だったら同じ場所に住むのを諦めて、
家を捨ててどこか遠いところへ逃避という形で逃げてしまう…

二つの意味で無理だと感じてしまいました。

泥出しのコツが上手くつかめず、足で踏み固めてしまったり、なかなか上手く行きません。
そして屋内なのにものすごく気温が高く、汗が滝のように流れ落ちて…。

上手く作業出来ているのか不安になりながらスコップを進めました。

そして10時39分頃に震度3の地震が発生。
センターから1台ラジオを持たされているので、耳を傾けたところ、
津波の心配はないとのことでした。

作業中だったせいか、揺れに全く気付きませんでした。

数回休憩を挟んだ後、ようやく昼食。ものすごく長い時間に感じました。

昼食もカロリーメイトみたいなものしか持ってこなかったので、
ぱさついた感じと緊張感でうまく喉を通らず、少ししか食べられませんでした。


byつま
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by phanton | 2011-07-30 03:46 | 東日本大震災
いざ仙台へ3
東京駅に着くと、やはり静岡より震災を意識し、ともにガンバロウ的なフレーズを良く見かけるようになりました。

そして『がんばろう日本、つながろう日本』と装飾された東北新幹線に初乗車しました。

車窓の景色は埼玉の奥の方からすでに屋根にブルーシートがかかっている家が散見されました。
被害の範囲の広さが改めてわかりました。

仙台駅に到着する直前に仮設住宅らしきものも確認できました。

東北新幹線はとても速く2時間かからずに仙台に到着。
改札口で今回宿を手配して下さったサザ友さんと落ち合い、まずはチェックイン。

そしてホテル近くの牛タン屋さん『利久』で食事をする事になりました。
牛タンは今回食べられなくてもいいや、と諦めていただけにいきなりで嬉しかったです。

『牛タン極定食』かなりボリュームがあり、緊張感で正直味がよくわかりませんでした。
美味しかったんですけどね(苦笑)。

その後は『るーぷるバス』に乗り、仙台市内をプチ観光。
伊達政宗公の像がある仙台城跡を目的地に向かいました。

こちらのサザ友さんは東北大学の大学院生さんで優秀な好青年。
今年は宮城の教員採用試験を受験し、合格したら大学院をおやめになるとの事でした。

バスは途中から東北大学ばかりを周遊。なんて大きな大学なんだ!とひたすら驚くばかり。

到着した伊達政宗公像前には「おもてなし隊」なる方がいらして、
サッカー談議で終わってしまい(笑)、次に出会ったおもてなし隊はビジュアル系でカッコ良かったです。

取り急ぎ仙台駅まで戻り、サザ友さんお勧めの「ずんだ茶寮」の「ずんだシェイク」をテイクアウトし、ユアスタへ向かいました。

ここまで…仙台駅付近はもうかなり元気だなと感じました。

ユアスタに到着し、写真を撮っていると、なじみのエスパサポさんに声を掛けられました。
そしてさらにもう2名と合流。

ゲートインして、折り鶴イベントやスタジアムコンコースをうろうろ。
ワンタッチパスに手間取って大変でしたが、次回からはアウェイ側のパスに記録すればOKということまで把握できました。

想いを巡らせていたユアスタでの初の『カントリーロード』、
アウスタでも幾度も歌った『TWISTED』、
感慨に浸る間もなくこちら側の応援も始まり、この日はいつにもまして応援を頑張りました。

試合結果は0-0。
…うん、良いと思います。

試合後、仙台の選手達がエスパルス応援席までいらしてくれてご挨拶頂き、
そして両チームによるエールの交換…感動的なシーンでした。

新幹線で東京へとんぼ返りしなければならないサポさん達と別れ、
ベガッ太くんは出て来ないのかな?と正面前に移動しました。

すると登場…、しかし…。

愛嬌のあるパルちゃんのパフォーマンスに慣れている私にとって
ベガッ太くんの立ち振舞いは衝撃的で、即座に『ベガッ太さん』であることを把握してしまいました。

なんとか突撃し、ユニにもサインを頂きました。
そして、お世話係の方が本当にお優しくて…。

明日はボランティアする予定です、とお伝えすると深く感謝の意を示されました。
…本当に頑張らないとな…

帰りの地下鉄の中、静岡ではもうすっかり見かけなくなった桑田さんのdocomoの中吊り広告を発見。
ものすごく嬉しかったです。

なでしこジャパンの試合がありましたが、ボランティア活動中に体調を悪くしてはならないので
朝まで眠る事にしました。


byつま
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by phanton | 2011-07-30 02:57 | 東日本大震災
いざ仙台へ2
6月20日付でエスパルス公式サイトから
『後援会オレンジ支援室『ボランティア企画参加者募集』のご案内』が発表されました。

行きたい…でも仙台なんて行ったら怒られるだろうなと諦めていましたが、
アウスタの仙台戦の後に正式に申し込みをしました。

しかしその時点での参加希望者数は4名。
15名集まらないとツアーは流れてしまうので5日の連絡を待つ事になりました。

5日、やはりツアーが流れたと言う事で、一度は諦めかけましたが、
気持ちはもう止まらずに、自分でボランティアセンターの稼働状況を調べ(5日)
ホテルのフロントのバイトをしていた仙台のサザ友さんに事情を説明し(6日)
ホテルを押さえて頂きました(9日)。

ホテルが決まったからにはもう後は前へ進むのみ。

静岡市の社協でボランティア保険に加入。

移動手段はJR東日本パス、というものを使おうと思っていたのに、
JR東日本管区でないと購入できず、しかも前日までに購入しなければならない、
という事がわかりました。

なので、静岡→東京はぷらっとこだま、
東京→仙台は東京駅近辺の金券ショップで、
と同時にみどりの窓口で帰りの分のJR東日本パスを、
東京→静岡は時間が未定のためビジネスクーポンを金券ショップで購入という流れにしました。

そして同時に活動に必要な用具も揃えました(11日)。

そして13日いよいよ仙台へ出発です。


byつま
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by phanton | 2011-07-30 02:16 | 東日本大震災
いざ仙台へ1
やっぱり最近はブログ続かないですね^^;

でも今回の経験はやはりまとめておきたい事が沢山あるので、
徐々に綴って行けたらと思います。

3月11日…未曾有の大震災が起こってしまいました。

その日の早朝、おばあちゃんが亡くなり、それでもABCの予約はこなさなくてはと
一通りレッスンを終え、その後ASTYのカルディでボスナーに出会い、
クリニックに向かおうとエレベーターに乗った所

「あれ?なんだか、このエレベータがたがた揺れてて調子悪いな?」
と思いましたが、しばらくしてこれは地震かも、と気付きました。

5Fに着き、すぐさまTwitterを開くと…
北海道から関西の方まで揺れたという言葉でタイムラインが埋め尽くされていました。

瞬時にこれは…大変な地震だと気付き、すぐに震度がツイートされてきました。

震度7、宮城…

宮城在住の数名いるサザンファンの方の身の上、
ベガルタは?即時にツイートしましたが…

Twitterも様相が一変しました。
ひたすら関連情報が流れてきてRTされる方が増え…

そうか、Twitterはこういう使い方をするのかと、
そしてこの時すでに大勢のフォロワー様を抱えていた私は
Twitterにおける自分の使命みたいなものを感じ取り、関わり方を変えました。

静岡でも余震で1時間近く揺れ続け、電車も止まり、
バスも大津波警報が出ているため、警戒区域手前での折り返し運転となっていました。

この日以来、Twitterの関わり方も職場も少しずつ変わり…
いつかこの精神状態だと怪我をするなと危惧していた矢先、
やはりやってしまい、職を失いました。

その後、震災関連をツイートし続ける事によってTwitter上でも縁が途切れて行く事がしばしばおこりました。
辛い事でしたが、震災に関する個人の温度差がどうしてもあり
それを乗り越えられず、残念な思いもしました。

そして…本来なら行かないはずのベガルタ仙台戦に行こうと決めたのは
きっと桑田さんの夜遊びライブに参加できたからに違いありません。

『君は気付くでしょうか その鍵はもう 君の手のひらの上に』

行動しなければ前へ進めない
その行動を決意する、未来を変えるのは自分自身でしかない
手のひらの上の鍵を使うか使わないのかは自分の意思の他ない

そしてアウスタでのLet's try againの出来事。
結果、ベガルタの方々にとても喜んで頂けたことへの恩返しをしたいという気持ちが強くなりました。

かの地を思い、泣いているだけでは何もかわらない
いくら募金をしても埋まらない心の大きな穴

仙台に行き、ボランティアをしようと決めたのでした。


byつま
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by phanton | 2011-07-30 01:53 | 東日本大震災